時の記憶
芸大で保存修復の勉強をしていた頃、毎日仏画の模写をしていた。保存修復での2年間は、線の引き方から和紙や絹の特性、 表装などまで日本画の基本的な技法を学ぶ事ができ、それまで日本画を自己流でしかやってこなかった私にとっては、学ぶ事の多い充実した2年間だった。 しかしその反面、模写も修復も私にはとってもとっても窮屈で、「好きなように、好きな物を自由に描きたい!!」という思いが、日々増していく毎日でもあった。 そんな悶々とした中で、この「時の記憶シリーズ」を本格的に描き始めた。
もともとは、イスやテーブルが登場して、その上に広がるイメージを形にしていた事から「イスシリーズ」と呼んでいた。 窮屈な気持を解き放つように、肩の力を抜いて遊ぶように描いた。 旅先で見つけた、可愛い扇風機を題材に取り入れたり、自分の愛用した、ピアノを描くことで、子供の頃に帰るような、 ふるさとを懐かしむような心地良さ、人々の暮らしの中にある温もりやつながりを表現したい。 そして「樹木自然シリーズ」の延長線にあるような、銀杏や桜の作品もまた、意図する所は同じである。描き方は、異なっても表現したい本質は変わらない。
-
模写「孔雀明王像」 -
「ファン」 -
「ピアノ」 -
「きいろい贈り物」
原点
1978年奈良に生まれる。会社員の父と教師の母。私が2才半の時、父の転勤で埼玉の大宮へ移り住む。 母は教師を辞め、自宅で絵画教室を始めた。毎日夕方になると、リビングが教室へと変わる。 狭い部屋に子供たちが溢れ、それはもう部屋中ごった返した光景だったが、明るい子供たちと、威勢のいい母の教えは、なんとも楽しい空間だった。 生徒さんが帰った後には、決まって母との批評会が始まるのだ。床に作品を並べて 「みきちゃんはどの絵が好き?なんで?」「この色どうかな?」「これはもっとどうしたら良くなるのかな?」絵を描く事は大好きと言える程でもなかったが、 この日課の批評会は、いつまでやっても飽きなかった。
そしてもう一つの日課、それは幼稚園から小学校高学年までほぼ毎日描き続けた絵日記だ。
いつでも、画用紙に筆、クレパスや絵の具が自由に使えるように、母が用意してくれていた。
こうした環境のお陰で、自然と絵画に触れて育つ事が出来た。これこそが、私の画業の基礎になり、今なんとか画家としてやっていけている所以だろうと思う。
あれから30数年、未だに母は現役だ。
自分の好きな事が仕事に出来たことは、本当に幸せだ。好きで描いている絵で、誰かを笑顔に出来たり、ありがとうと言ってもらえる、こんな素敵なことはないと思う。
-
絵日記 -
-
自画像「6才のわたし」 -
中学生の頃の静物画 -
高校生の頃の静物画 -
高校生の頃のデッサン