暦をめくると
いつも新しい景色がそこにはある
幾つもの季節をめぐり
忘れていたことが心に帰ってくるようで
嬉しい
目覚める春
輝く夏
彩る秋
佇む冬
頬をなでる風に
光がある
影がある
色がある
そして私は景色の中にある
香りのようなものをとらえたい
自然の心を描きたい
自然と共に
朝、窓を開けて、空を見上げただけでも、その広い世界の空気で、心が洗われていくように感じられる。 白い雲が浮かび、色づく樹木に季節の訪れを感じる。日差しの暖かさを頬に受け、小鳥のさえずりが時を知らせてくれる。 自然には、そんな魔法のような威力があると私は思う。
自然との対話の中で与えられる、新鮮な感動を逃さないように、瞬間の煌めきや、素朴な移ろいを、自然の息づかいや香りとして捉えていきたい。 自然と素直に向き合い、写実的な描写をしながらも、形や、色といった目に見える物だけを表現するのではなく、光や風などの形のないもの、 更に温もりや静けさなど、その場所を包む香りのようなものを描きたい。そしてその先には、希望や力(魂)といった精神性をも表現していきたいと思っている。
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「空の向こう」 -
「影綴り」 -
奇跡の一本松「道標」
樹木・自然
絵画教室に通っていた幼少期から、物を見て描く事は好きだったが、空想画は苦手だった。 私には、いわゆる芸術家の思いもよらない発想力や、奇抜な個性と言ったものは、どうも持ち合わせていそうにない。 だから、身近にある花や樹木など、姿形を模写するだけで美しい「自然」をテーマにしようと思った。
大学4年の時、卒業制作の為に関東の巨木を片っ端から、取材して回った。 千年以上も前から片時も休まず生きてきた巨木を目の前にすると、格調高い神々しさを覚えた。 それからは、屋久島や白神山地などへも出かけていった。こうした旅の経験が私の心を捕らえ、今もなお自然や樹木をテーマに描いているのだと思う。
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屋久島にて -
大学の卒業制作「樹」 -
大学の修了制作「栞」
時の記憶
芸大で保存修復の勉強をしていた頃、毎日仏画の模写をしていた。保存修復での2年間は、線の引き方から和紙や絹の特性、 表装などまで日本画の基本的な技法を学ぶ事ができ、それまで日本画を自己流でしかやってこなかった私にとっては、学ぶ事の多い充実した2年間だった。 しかしその反面、模写も修復も私にはとってもとっても窮屈で、「好きなように、好きな物を自由に描きたい!!」という思いが、日々増していく毎日でもあった。 そんな悶々とした中で、この「時の記憶シリーズ」を本格的に描き始めた。
もともとは、イスやテーブルが登場して、その上に広がるイメージを形にしていた事から「イスシリーズ」と呼んでいた。 窮屈な気持を解き放つように、肩の力を抜いて遊ぶように描いた。 旅先で見つけた、可愛い扇風機を題材に取り入れたり、自分の愛用した、ピアノを描くことで、子供の頃に帰るような、 ふるさとを懐かしむような心地良さ、人々の暮らしの中にある温もりやつながりを表現したい。 そして「樹木自然シリーズ」の延長線にあるような、銀杏や桜の作品もまた、意図する所は同じである。描き方は、異なっても表現したい本質は変わらない。
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模写「孔雀明王像」 -
「ファン」 -
「ピアノ」 -
「きいろい贈り物」
原点
1978年奈良に生まれる。会社員の父と教師の母。私が2才半の時、父の転勤で埼玉の大宮へ移り住む。 母は教師を辞め、自宅で絵画教室を始めた。毎日夕方になると、リビングが教室へと変わる。 狭い部屋に子供たちが溢れ、それはもう部屋中ごった返した光景だったが、明るい子供たちと、威勢のいい母の教えは、なんとも楽しい空間だった。 生徒さんが帰った後には、決まって母との批評会が始まるのだ。床に作品を並べて 「みきちゃんはどの絵が好き?なんで?」「この色どうかな?」「これはもっとどうしたら良くなるのかな?」絵を描く事は大好きと言える程でもなかったが、 この日課の批評会は、いつまでやっても飽きなかった。
そしてもう一つの日課、それは幼稚園から小学校高学年までほぼ毎日描き続けた絵日記だ。
いつでも、画用紙に筆、クレパスや絵の具が自由に使えるように、母が用意してくれていた。
こうした環境のお陰で、自然と絵画に触れて育つ事が出来た。これこそが、私の画業の基礎になり、今なんとか画家としてやっていけている所以だろうと思う。
あれから30数年、未だに母は現役だ。
自分の好きな事が仕事に出来たことは、本当に幸せだ。好きで描いている絵で、誰かを笑顔に出来たり、ありがとうと言ってもらえる、こんな素敵なことはないと思う。
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絵日記 -
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自画像「6才のわたし」 -
中学生の頃の静物画 -
高校生の頃の静物画 -
高校生の頃のデッサン